アニメーターを始めて、良かったこと。
こんにちわ。珠吉です。
最近、絵を描いていて、「あぁ、アニメーターになってよかった」て思うことがあります。
そして、アニメーターになったことで考え方が改まったりすることもあります。
そんなことを、つらつら。
いつから方向性を見失ったのかは、もう覚えてない。
専門学校の頃に、絵を描くのがだるくなったのは記憶にある。
あの頃は惰性で描いていて、
仕事を始めてからは、画力が徐々に落ちていくのを実感し、
それに絶望感を抱きながら、それでもやっぱり惰性で描いていた。
あの時は惰性で描いていて、絵を描くこと自体がどうでもよくなっていたような気がする。
でも、よく考えたら昔からずっとずっとずっとずっと、絵を描いてきていて、
絵を描かなくなった自分には何が残るのだろうと、思った。
だから、絵を描くことが、どうでもよくなっていって、更に画力が落ちていくのを実感していたあの頃。
自分自身の、存在とか未来とかに絶望感を抱いていた。
仕事を辞めて、バイトをしながら同人活動に勤しんでいた時。
もう半年前というのだろうか。まだ半年なのだろうか。
半年間はあっという間に過ぎていったはずなのに、半年前の出来事は遠い昔のように感じている。
あの時は、正直なことを言えば、絵を描くのは辛いことでしかなかった。
惰性で描く、ということもなく。
コミケの度に、出品するものがないから、と、無理に自分に言い聞かせて描いていたのだった。
実際、コミケは珠吉にとって、作品を出品する場ではなく、友人とコミニュケーションをとる場だった。
だから、いかに他人に受けのいい絵を描こうか、とか、
でもそんな風に考える自分に何か違和感を感じながら描いていた。
だから、この数年間、珠吉は、自分の絵に対して不誠実だったと思う。
勘違いされないように言っておくけれども、
専門学校時代も、仕事をしていた時も、同人をメインに活動していた時も、良いことはあった。
仕事場では生活の安定が約束された。(というかそれ以外はあんまり身がなかったかもね。あはは。)
専門学校時代、同人活動の時は貴重な友人を作ることができた。
それは、今でも大事な宝だと思っている。
アニメーターになった今、強く思うことがある。
「あぁ、これで絵を描いて生きていくことができる」って言うこと。
とは言っても、絵はそれぞれ作品によって違うし、珠吉の苦手な絵、別段好きでもない絵。
あまりやりたくないと思う仕事もある。(18禁とかはね・・)
でも、良い絵、動画を描こう、と思うことはあっても、
他人に受けのいい絵ばかりを描こうと思う必要はなくなった。
いや、元々そんなこと、考える必要はないのは、理解していたのだけど。
なんだろ。脅迫観念みたいなものを、感じていたんだよね。この仕事を始める前までは。
かわいい絵を描かなくちゃ、受けがいいのを描かなくちゃって。(描けてるかどうかは別として。)
アニメーターを始めて、その強迫観念から開放された気がする。
珠吉の好みではない絵を、結構沢山描いてきたからかもしれない。
「あぁ、そうなんだ。別段、受けのいい絵を描かなくても、生きていけるんだ。」と、実感した。
技術とかはまだまだ、覚える必要があるし、
仕事を引き受ける以上は相手先に満足の行く絵を描く必要がある。(描けているかどうかは以下略なのよ。)
でもそれは仕事として、と割り切ると、別段気にもしなくなるのだ。
細かいところを考えていくと、それでもやっぱりアレ?同人活動の時とどこがどう違うの?
とか今書いてて思ったりするんだけど。
同人の頃は、強迫観念と、自分の絵に対する譲れないポリシーみたいなものが入り混じって、
どうにも綺麗なものにならなかった。
「受けのいいかわいい絵」っていうものと、珠吉の本当に描きたいものって言うのが、
水と油みたいに混じり合わなかった。
アニメーターになって、
強迫観念は「仕事をするために必要なもの」になった。
そこに、珠吉のポリシーが入る隙はない。ただ、画力とトレス技術だけが要求される。(動画はネ。)
そうして、らくがきには、別に誰にも何も言われることのないものを、自由に描けるようになった。
水と油なら、無理に混じり合わせなければいい。分けてしまえばいいのだと、今更に気づいた。
でも、らくがきで身についたもの、仕事で身についたものそれぞれが、決して混じり合わないものではなく。
お互いを補完して、お互いをよりよくしていくものになる。
そこが、他の、ただのバイトは仕事ではなく、絵を描く仕事について、良かったと思うこと。
そうして開き直った珠吉は、今日も今日とてテキトーに、
その日その日に描きたくなったものを、描きたくなくなるまで描いて終わるのであった。