珠吉日記

日々の戯れ言やら写メをUPしていくサイト。

2次創作ばかりをやっていてはいけない

これは他人に対して偉そうな事を言いたいが為のエントリではない。
自分の生きてきた道を振り返って、反省と戒めをこめて書いておく、覚え書きだ。
 
自分の趣味は創作活動と言っていい。
だが、それを完成まで持っていけたものは非常に稀だ。
 
小さい頃から創作活動が好きで、何かといえば絵を描き、ゲーム案を作り、新しいゲームを考え付くとそれを作った。
しかし、それらのほとんどは2次創作だった。
ゲームブックを作った時も、既存のファミコンゲームを参考に作った。
スゴロクゲームはファミ通のおまけのゲームと、エスパークスなどを参考に。
鉛筆を弾くゲームもファミコンのゲームから。
カードゲームもそう。
 
システムだけは新しいのを作りたいと、アイデアは出てくるけれど、
オリジナルの設定を用意して完成できたものは稀だった。
 
自信がないのだ。
2次創作なんて、成功したものの上に乗っかっているから簡単なんだ。
元々のモノが面白いということを、自分が知っている。
知っているモノを参考にするから、面白さに自信がもてる。
安心してゲームを作ることができる。
 
でもそれは本当の意味で自分への自信に繋がってはいかない。
オリジナルの作品を形にできないことがそれを雄弁に語っている。
自分の世界観に自信がもてない。不安が、その先に進むのを阻害する。
土台が不安定な場所にいて、その場で立っているのがやっとのような。
それどころか、土台が不安定かどうかさえわからない。
わかっていればその場から降りて、不安定な土台を補強もできよう。
でもそれさえも自信がないから出来ない。土台の再構築をしたとして、以前より補強できたのかどうかを信じることができない。不安を払拭できない。
その不安を振り払うものが何も無い。
その不安を振り払う剣の役割を、「2次創作」は果たしてきた。
既に面白いものを参考に。それをもっと、自分なりに面白く。
 
既にあるものだから、そこまで至れる。
でもそれは自分のものじゃない。
他人から借りてきたものなんだ。
 
2番煎じでもいい。似たような設定でもいい。
2次創作と、2番煎じでは明らかに違う。
オリジナルではないものと、オリジナリティのないものでは全く違う。
それでもいいから、自分の土台となるものを作らなくてはならない。
 
そして、いい加減、それを作ることに着手していい頃だ。
それに気づいているから、俺は同人で2次創作を作ることを躊躇っているのだ。
オリジナルを作れ、完成させろ。失敗でも何でも、何かを作り、それを土台にして新しいものを作り続けろ。少しずつでいい、大風呂敷はどうせ畳めない。最初からそんなものは無理だし、重要なのは風呂敷をどこまで広げるかじゃない。
 
オリジナルを作れ。それが、次に進むべき一歩だ。