珠吉日記

日々の戯れ言やら写メをUPしていくサイト。

絵に対してのスタンス追記

前回のFRAYのエントリで絵に対するスタンスを語ったわけですが、
読み直してみて自分でもきちんと主旨を伝えられていない
と思ったので追記。
 
mixiのほうでもらったコメにあったんですが、
相手の絵に対して「羨ましい」という部分、それは俺にもあるわけです。
具体的に言うと、今日ファミ通を読んできて、
アトリエシリーズ最新作(なのか?)の
イラストを見て早速そう思った次第。
 
しかし、羨ましい、というのと、描けるようになりたいというのは
ニュアンスとしては近いのだと思うのだが、
「描きたい」となると実行が伴うからか、なかなかそこまで至らないですよね。
ちなみに俺は至りません。w
大変で、描いてて苦痛になりそうなのが見てわかるからです。
 
そこで引っ込むのはあまりにも情けないだろうと。
もっとさ、こう、やる気になるとか、負けん気をはれよとか、
毎回そんなことで苦痛とか感じてたらなんもできないんじゃないのとか、そういうのって内側から沸いてきますよね。
 
で、俺が言いたかったのはですよ。
そこで、「負けること逃げ出すことー(語呂悪しー)涙ー見せてもいいよーそれが一番大事ー」
ってわけで、
 
逃げろ逃げろ!!地の果てまで逃げろー!!
って言う、負け犬根性を精一杯訴えてるわけですよ!!
多分、俺は本気でこれ結構大事だと思うわけです。
 
やー、上手い人なんかごまんといて、
上には果てしなく上がいるんでね。
そんなことをですね、レベルの低い今の俺が今から考えてたら、
レベルの高い場所まで登る前に力尽きてしまうし、
まず、描くの自体がいやになりそうだし、
そもそも上手い絵が描きたいのはいいとして、
絵を描くのがまったくいやになっちまうほど苦痛になっちまったら本末転倒なわけですよ。
 
で、俺のお勧めは、
描いてて苦痛ではないものを、果てしなく延々、
苦痛にならない程度に力を抜いて、
延々延々だらだら描いて描いて描き綴る。これ。
 
例えば、俺だと女の子。耳は自然につく。
トレーナーを気が付くと描いている。
てなわけで、いつも同じキャラを描いているわけです。
 
で、ここの難点はですね、
その絵を他人がみるということをまったく前提として考えられてないので、
酷いラフで終わってたり、まったく同じ構図を延々毎回毎回何度も何度も描いてたり。
他人が「飽きたよー別のを描いてよー」とか言っても耳を貸してはいけないッ!!
ただ好きなものを気楽に好きに延々描く!!
っていうことになっていくわけで、
まさに自己満足の極み。
 
しかし、です。
これ、難点といえば難点です。
ぶっちゃけ、思考の停止です。
成長とかはまったくありません。
(飽きたら新しいのとかを模索するかもしれませんが)
 
いいことなんて、一つも…ないでしょうかね。
俺にはあるわけですよ。もう、少なくとも、
世界に誰もいなくとも、俺は描いていて楽しい。
それで充分なんじゃねーかなと。
 
誤解を恐れずに突っ走るとですね、
他人に認めてもらえる絵を描こうっていう考えがですね、
もう何かが歪んでいるのです。
絵は、自分の中の発露なので、描きたい時に描く、
自己満足以上でも以下でもないものだと思うのです。
 
そして、だらだらと描いていて、
技術的に足りないものがあって苦痛だと思うのならば、
2つの方法があって、
まずお勧めがこれ。
「諦める」
まずは諦めましょう。天才じゃないなら、
すぐにそんな技術は身につかないから。
それに、自己満足の世界において、天才である必要もない。
 
二つ目は
「技術を磨く」
ですが、これは更なる苦痛が伴うので、
多少でも身になるものを手に入れたら
早々に止めることです。
長期で続けるのは危険です。
 
それと、自己満足がむなしいと思う方もいるかもしれない。
しかし、更に批判を承知で言うならば、
むなしいと思うこと自体が歪んでいるといえます。
絵は、コミュニケーションの道具足りえます。
多分、自己満足で完結した場合、
そこから生まれるコミュニケーションを否定することになるから、
空しいと感じるのだと思うのですが、
 
絵はコミュニケーションの道具足りえますが、
絵はコミュニケーションの道具そのものではない。
 
だから、空しいと思うのならば、
絵を描く時間を諦めて、
他のコミュニケーションを使う別の用途に向けるべきです。
 
 
 
絵を描くことは、それ自体が、自己満足です。
つまり、自己を満足させることができうるものなのです。
だから、絵を描くこと自体に幸せを見出すべきであって、
 
絵を上手く描くための技術の模索とか、
絵を描くことによって誉めたり誉められたりとか、
そういうことはあったらあったで嬉しいということであって。
それが苦痛で、絵を描くこと自体も苦痛になるようだったら、
まさにそれこそ本末転倒なのです。
 
つまり、俺が言いたいのは、
絵を描くことが苦痛だと感じている人は、
絵に対するスタンスが歪んでいるか、
または絵を描くことそのものが好きではない人のどちらかです。
 
絵を描くことは、幸せを綴ること。
 
そうであるべきだと、思うわけです。
技術がどうこうなんて、どうでもいい問題ですよ。